連載
321回

ONITANI'S ESSAY

 世の中には、1の経験から10の事を考え、100の想いを描く職業がある。
 例えば、漫画家もそうだ。
 漫画家を目指す者よ。
 恋をして、友と語らい、泣き、別れ、悩み、考えろ。
 経験のみがお前の糧となり、考えることでのみお前は鍛えられる。
 

・原作?漫画?監修?(ヒカルの碁)

・アニメーターになりたい

・パロディ同人で利益をだすことについての是非

・最近ちょっと考えてます。

表紙  案内 更新 鬼谷 画廊 掲示 手紙
Backnumber 01 02

・原作?漫画?監修?(ヒカルの碁)

 ずっと不思議に思ってるんですがこのマンガ原作と漫画と監修って3人いますけどこの人達はどんなことをしてるんですか?

 普通漫画を書いてる作者がこれを全部一人でやってますよね? 原作の人がキャラの原案考えてたりネーム書いてたり…じゃあ漫画を書く人は渡された絵だけど書いてるんですか?

 なんかこの人達の役割がよくわからないので是非教えて下さい、監修はなんとなくわかるんですけど……うーん、謎。

・単純に言えば、『原作者』=『脚本家』だと思えば良いだろう。  

 映画や、ドラマの場合を考えてみよう。

 まず、脚本がある。

 それを元に、様々な人間が関わって最終的な作品が形作られる。

 例えば、故松田優作が『探偵物語』で演じた様に、主演の役者がアドリブを効かせて、まるで脚本とは違うキャラクター像をうち立てることもある。

 監督のディレクション、つまり撮ったフィルムの繋ぎ方を一つ変えただけで展開の意味するところが全く変わると言うこともある。

 ライティング、効果、演出、全てがその映画の“意味”に関わっている。

 その、脚本以外全てをやるのが、原作付きの漫画家の仕事だ

 脚本もやる映画監督はいる。

 しかし、脚本を書かずとも、映画監督は映画監督だ。

 

 有名な逸話に、『あしたのジョー』の話がある。

 はじめに上がってきていた原作では、既にジョーがボクサーとしてリングに立っているところから始まっていたのだという。

 それをちばてつやは、ジョーが少年院に居る場面から話に入り、幾ら話数が進んでも原作通りの展開を出さない。

 怒った原作者、高森朝雄はちばてつやを呼びつけ、事の次第を問いただしたという。

 そこでちばが応えるには、とにかく自分はこの矢吹ジョーというキャラクターに惚れ込んだのだ、と。

 そしてこの矢吹ジョーというキャラクターの魅力をどうやったら読者に伝えられるのか、それを考えに考えたら、どうしてもこういう展開にせざるを得なかったのだと。

 それを聞かされ、高森もならばと納得し、以降ちばの思うままに展開させることを認めたのだという。

 

 原作者と、漫画家は夫婦のように二人三脚であるという考え方もある。  あるいはバッテリーのような関係であるとも言う。

 そしてあるいは、いやバッテリー等ではない、ピッチャーとバッターの関係であるという者も居る。

 全力で、もの凄い球を原作者は投げる。

 それを、懇親の力で打ち返し、ホームランにするのが漫画家の仕事だと。

 関係性というのは様々で、そして個々の力量や得意とする作業も様々だ。

 勿論、質問にあった『ヒカルの碁』においての関係性までは、俺には分からない。

 一つの素材を与えられたときに、それを表現する演出に秀でている作家も居るだろうし、むしろそれから大きな創造の翼を広げられる作家も居るだろう。そして、ただ単に与えられた素材を消化することが精一杯という作家も、居ないわけではないだろう。

 一概に、かつて平松伸二が編集者から投げつけられたように、「原作付きの作家など、ただの絵描きだ」というワケでも無い

 彼らが漫画家である事には変わりはないし、そしてそれは何を得意とするかが違っていた結果なのだという事だ。

 最後に、監修というのは、『アドバイザー』的な立場に居ると思っておけば良いだろう。 『ドラゴンクエスト−ダイの大冒険』における堀井雄二の様な例もあるが、むしろこの方が例外的だと思われる。

 

 

ページトップ 表紙へ  Backnumber 01 02

・アニメーターになりたい

  絵をかいてますが、なかなかカベにあたって上にいってない気がするんです。

  デッサン力が足りないんですよね。

  将来はアニメーターになりたいので、しっかりした基本は身につけたいのでありますが。

  絵を描くみなさんは、どうやって上達しましたか?

  絵のおすすめ教則本はありますか?  ヒントにさせてください。

  俺はてきとーにラクガキしまくって やらない人よりはうまい位になりましたが、 構図がむつい!、あべしぃぃ・・・

 

・はじめに謝っておくが、俺はアニメに関しては門外漢だ。

 だがまぁ、少しばかりは何かの役に立てることが言えるかもしれないので、幾つか書かせて貰う事にする。

 まず、アニメーターという職業は、漫画家やイラストレーターとは異なる別の技術が必要になると言うことは言うまでも無いだろう。

 大まかに言うなら、1.他人の絵を描けること。2.動きの流れを描けること。3.固定された画面で絵を構成できること。

 この3点だろう。

 勿論、これらは絵を描くという事の中での要素としては、特別な事ではないだろう。

 しかし、この3点がアニーメーターという仕事においてもっとも重要視されるコトだと思う。

 .に関しては、まあ説明の必要も無いだろうが、要するにデザインとして起こされたキャラクターや設定を元に描く以上、在る程度以上の普遍性が必要という事だ。

 漫画家やイラストレーターにおいては強い武器ともなり得る“個性”というものが、ここでは逆にネックになりうるとも言える。

 勿論、個性的な絵を描くアニメーターも居るが、そういった個性を発揮できる立場というのは、そうそう多くはないし簡単になれるモノでも無い。

 .の、動きの流れを描ける、というのは、動画などの仕事の際に必要になる。

 イラストレーションというものは、基本的に静止した一枚絵を描くモノだし、マンガでは様々な技法で一コマに多くの動きを凝縮する。

 それら凝縮されたものとは違い、動きの流れを抜き出して描くと言うことは、例えば単純な話としては、“キャラクターが右から左へと向きを変える動き”で在れば、右向きと左向きだけでなく、その途中経過の角度から人物を描ける事がまず必要となるし、加えて言うのならば、その流れの中で“カッコイイ動き”を生み出すセンスが必要となる。

 .の、固定された画面というのは、当然ブラウン管の画面構成という事だ。

 マンガであれば幾らでも変形ゴマ等を使い、独自のセンスで格好いい構図を生み出せるし、誤魔化しも効く。しかし絵の大きさの限られたアニメでは、その範囲内で構図を取る事が必要となる。 

 これらの3点を、取り敢えず意識しておくと良いだろう。

 漠然と、「よく分からないが巧くなれば良いのかな?」 という状態よりは、具体的な目標があった方が上達は早いはずだろうからな。

 それじゃあ、頑張れよ!

ページトップ 表紙へ  Backnumber 01 02

・パロディ同人で利益をだすことについての是非

 私は昔から同人で生活している=同人で利益を得ている方に常々疑問を 抱いていました。

  まず、オリジナルの方がご自分の本をいくらで売ろうが どれだけ儲けをだそうが きっちり税金を払っている限りなんら問題有りません。

  これはプロでもアマでも同じです。 石川啄木も彼自身の創作物を同人として出していたのです。

 でも、今同人で利益を出していると仰っている方の全てがオリジナルの方だとは とうてい思えません。

  アニメや漫画のパロディを出されている方も多いのでは無いでしょうか?  他人の創作物のパロディはあくまでファンの“趣味”ということが 大前提で、著作権を有する出版社や作者からお目こぼしを頂いていたのでは有りませんか?

  パロディ同人誌で利益を上乗せし、なおかつそれで生活していると言うことは すでにアマチュアとは言えません。

  いつ訴えられてもおかしくないのです。 それなのに堂々とパロディ同人誌で生活していると豪語するのは危険で かつ著作権に対して少し考えが足りないのでは無いでしょうか?

 付け加えておけば私は同人活動されている方を叩きたいわけでは有りません。

 私自身も某ジャンルで本を出しています。 だからこそ著作権については真剣に考えずにはおれません。

・現時点では、非だろう。

 これらの問題を語るときに、まず整理しておかねばならないのは、大きく2つの論点があるということだ。

 まず一つは、『パロディ同人誌という活動における法的な問題(主に著作権)』

 もう一つは、『パロディ同人で利益を得る』という行為が、『ファンジン/趣味としての同人』というスタンスを大きく逸脱しているという『創作活動』 としての観点。

 この2点だ。

 俺は基本的に、ある点で『創作』という行為それ自体が、『法』という社会の枠の範囲は逸脱していて当然だと思っている

 『創作』の根元は、一種の『エゴイズム』だと思うし、その範疇で言うならば『パロディ同人』だろうと『ゴッホのひまわり』だろうと同じだとも言える。

 別に『価値が等価だ』 なンて無茶言う気は無い。なんでもかんでも相対化すれば良いとも思わない。

 ただ、エゴイズム。その一点でのみ創作者は共通の足場に立てる。

 多くの『パロディ同人作家』が誤解しているのは、恐らくその点だ。

 『ファンジン』という範疇を越え、そして『社会的責任を求められている』という事実それだけで、既に彼らは無自覚に『共通の足場に立つことを要求されている』のだ。  

 かつてのコミケや、『パロディ同人活動』 は、いわば『子供のお遊び』だった。

 だから、『大人』である『社会』は、眉をひそめつつも彼らの行為を容認してきた。

 しかし、今は違う。

 需要はある。

 供給もある。

 利潤も大きく動いている。

 個人の思惑などではどうにもならない 『市場』 としての 『パロディ同人活動の場』 が形成されつつある。

 社会は今、あらゆる角度から 『パロディ同人作家』 に、選択を求めている。

 そう、選択だ。

 彼ら自身が能動的な選択を 『大人として』 しなければならなくなっているのだ。

 大きく分ければ、要求されている選択は2つだ。

 一つは、『ファンジンとしての原点に立ち返り、大きな利潤を得る活動はやめなさい』

 つまり、子供は子供らしくしていろ、という事だ。

 もう一つは、『社会の規範に則った形で活動をしなさい』

 大人になったのだから、大人としての責務を果たせと言うことだ。

 勿論、明確な線引きは現時点では為されていない面もある。

 だが、今の時点で 『パロディ同人活動』 をしている人間は全て、この問題に直面している。

 自覚のあるなしに関わらず、だ。

 だが。

 もう一つの選択が無いわけでもない。

 『創作者としてのエゴを突き通す』 という選択。

 それも又一つだ。

 これは、『社会』 からは要求されていない選択だ。

 現時点では 『社会的な利益』 の認められていない選択だ。

 恐らく、出版社も著作権者も認めようとはしない選択だ。

 だが、それでもそういう選択をする人間が居ても良いと、俺は思っている。

 自分にはパロディの才能があり、創作者としてそれ以外に自らを立てる術はないと考えているなら、その困難な道を選ぶのも又良いだろう。

 創作者というのは根底においてエゴイストであり、必ずしも社会や他人と融和できるとは限らない存在なのだからな。

 

ページトップ  表紙へ  Backnumber 01 02

・最近ちょっと考えてます。

  この前、会社でお昼(女の人はみんないっしょに食べてます)の時の話題が フジTVの“愛する二人別れる二人”ていう人生相談みたいな番組についてだったんです。

  話をしていた子が観た時出てた人は 『奥さんが浮気していて、旦那さんは“ガンダム”が好きなオタク』て 感じの夫婦だったらしい。奥さんは別れたっがているんだけど旦那は別れたくないと いっていたらしいんです。

  「なんか気持ち悪いよね」と一人の事務のおばさんが言った。

  「ガンダムとでも結婚しろって感じだよね」 私と仲のいい子がそう言うとみんな笑った。

  でも私は笑えませんでした。どうして?ガンダムが好きってだけでそんなに 嫌そうなの? アニメだから? 暗そうだから? オタクだから?

  第一、そーゆう人がオタクなら私は完全オタクじゃん。

 この年(一応20代だけど) にして古本屋でマンガを買いあさり、マンガ喫茶にいきまくり、 「マンガはねー・・・」と熱く語るわたし・・・。

  いーじゃん別にー!ガンダムが好きで何が悪い!! 名作なんだぞー!!!

  でもそうやって言えませんでした・・・。

 やっぱり私がオタクだから一般と ズレてるのかもって思ったりするとちょっと恐くもあるし・・・。オタクなんかと 結婚した奥さんはかわいそうっていうのが一般論なのかも・・・と思ったりして。

 多数派の前で少数派は口を閉ざす・・・なのです。ああっー。

  ・・・ほとんどの人が好きな物や趣味を持ってる今、ドラマの話題や映画の話 歌手の事はポピュラーでついていけない方がダメって感じがあるのに、 マンガ・アニメ・ゲームとかになると知らない方が普通なのはなぜ?

  なんでそーいうのだけオタクなんだー?なんでドラマとかはいいんだー? なんでこそこそってしてるんだー!私・・・。なんで?

・自信と傲慢は違う。

 まず、その番組に出ていた旦那の話をしよう。

 要は、旦那の趣味それ自体が問題なのではない

 その旦那は要するに、奥さんという他者との距離を測ることが出来ない、幼稚な人間性を持った人間だった。それだけの事だ。

 自分の好きなモノを好きだと主張するのは構わない。だがその個人的価値観を絶対視し、それを共有できないことを非として押しつける。

 その幼稚で傲慢な人間性が何に由来するかは分からない。だがしかし、モノが 『ガンダム』 で無く仮に 『ワイン』 だろうと、『釣り』 だろうと、『ギャンブル』 だろうと、『車』 だろうと、それは同じ事だ。

  多くのことを視野に含めて語れなければ、その言葉を受け入れてくれる人間は少なくなる。

 『漫画が好きだ』 という事を語りたければ、存分に語るのも良い。

 しかし、まず相手がその趣味を共有出来る人間であるかどうか、そしてどの程度までなら話しとして織り交ぜても受け入れて貰えるのかどうか。そこを、見極めなければならない。

 これは全く異なる価値観を持って居るであろう人間同士の付き合いにおいては基本的な事だ。

 好きならば、自信を持ってマンガの話しをするが良い。

 だが、自信と傲慢さは違う

 そこを勘違いするなよ。

 


●まだまだ物足りないぜ●
(というかネタがね)

・当コーナーでは、各地BBSなどでの発言を、元発言者の許可を得ずに勝手に流用利用しています、…って書いてあるけど、前提としてそこから理解していただかないと何も始まらない何も終わらないってなのが現状です。

 ページトップ
表紙
Backnumber 01 02